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丸腰とらのふわふわ日記

生活のこと、遊びのこと、勉強のこと。

お稲荷さんのいましめ

人間関係で心の晴れない出来事が続いたため、先日同じく様々な種類の人間関係上のトラブルが続き萎えていた友人とともにお互いの悪運、悪縁を払拭すべく縁切寺として有名な豊川稲荷東京別院に参拝した。

参拝を終えておしゃれなカフェで一息ついていたとき、私はついその場の勢いで、一度会っただけの人についての愚痴を長々とこぼし続けた。それも事実に基づくことではなく、あることないこと、カフェ全体を包む穏やかな雰囲気にはとてもそぐわないような汚い言葉で。もしかしたら愚痴というよりむしろ個人攻撃に近かったかもしれない。とにかく私はあらん限りの罵詈雑言で攻撃する快感に酔いしれていた。とくに危害を加えられたわけでもないのに。ろくにその人を知りもしないくせに。罪悪感を覚えながらも、私は攻撃をやめなかった。

それから3日くらいあと、ひどい喉の痛みで早朝に目が覚めた。すぐ直るだろうと楽観視し二度寝してゆっくり起きだすもまだ痛い。結局その日一日はトローチや風邪薬の奮闘も空しく、ずっと喉が痛かった。それどころか、体はだるいのに眠ることもままならないほどに痛みは激しくなっていた。なにせ唾を飲むだけで喉全体に文字通り目の覚めるような痛みが広がっていくのだから。

布団に入っても3時間ごとに痛みで目が覚め、関節も痛み出しさすがにおかしいと翌日病院に行くと喉がたいへん腫れていて熱が38度あることが判明。検査したところ幸いにもインフルエンザではなかったがしんどいのには変わりはない。寒空の下、重い足取りで帰宅し、処方された薬を飲んで寝ようと試みたものの現代医学だって魔法じゃない。薬を口にしたその瞬間に瞬時に喉の痛みが引いていくわけもなく、相変わらず続く破壊力の強い痛みに苦しめられ、完全に寝付くまで数時間を要した。

夜7時に起きると薬が効いたのか喉の痛みも常識的なものとなり熱は下がっていたが、声がおかしくなっていた。声のボリュームが上げられない。2日ほどはかすれた遠い声でしゃべる羽目になり、かすれ声が治ったかと思えば今度は鼻が詰まって3日ほど鼻声になってしまうしでしばらくは散々であった。

今思うと、あれはお稲荷さんからの戒めだったように感じられる。無意味に人の悪口ばかり言う口はしばらく使い物にならなくしてやるぞ、という威厳のあるお稲荷さんの声が聞こえてくるような気がした。科学的に考えれば「人混みかどこかで拾ってきたウイルスだか細菌だかの感染で感冒症状を示したイコール体調を崩した」までなのだが、そんな簡単に片づけたくない気持ちだ。

人付き合いの中では合う合わない、好き嫌いの問題は必ず出てくるし、それがごく自然なことだ。だから、どんな人でも皆から好かれるということはないし、逆に皆から嫌われるということもない。すべての人を愛そうと、またすべての人から愛されようと努力する必要もない。今日もどこかで誰かが誰かの愚痴をこぼし、誰かが誰かに愚痴をこぼされている。私だって誰かの愚痴をこぼすし、誰かに愚痴をこぼされているかもしれない。でも私はそれを否定しない。なぜならそれが人間のあるべき姿だからだ。

ただ、ここで大切なのは、それを攻撃に転じさせない姿勢なのだと思う。人間誰もが攻撃性を心に秘めており、攻撃の快感に目覚めうる。人間は気持ちいいことが大好きなので、悪口という名の攻撃に莫大な時間を割くことになる。聞いている方はおろか言っている方さえも気分が悪くなるし、なにより自分の時間が失われていくし、かなりもったいないことではないか。

合わない人には、「困ったものだねえ」と大人の対応をして、何も言わず距離を置く。すぱっと切り替えて、自分のことに集中する。この方が楽しいんじゃないかなあと思うわけです。

反省を込めて。