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丸腰とらのふわふわ日記

生活のこと、遊びのこと、勉強のこと。

おでこが出ちゃったばっかりに。

2月が逃げて、3月がやってきた。正直月日の経つスピードに心も体も追いつかない。というよりも、精神の乱れに振り回されているうちに2月が終わってしまったという感じで、非常にもったいない。

就職活動のためいろいろな場所に出かけて行って忙しく動いている圧倒的多数の同期の近況報告を目にするたび、遮光カーテンを引いたままの自室に閉じこもってろくすっぽ回らぬ頭で文献を読み進めては気分がふさぎ、ベッドに横になるという、何一つ生産性のない動作を繰り返している自分がなんだかとんでもない道楽者ニートのように思えてしまってひどく落ち込んだりもした。また、進学という、敢えて新卒カードを捨ててまである意味「危ない」選択をしているからには学業成績や卒業研究などできちんと結果を出さなければという重圧、そもそも院試や選抜に落ちてしまったら大変なことになるだろうという恐怖に潰され、場所を選ばない突発的な腹痛や1時間ほど続く金縛りといった身体的不調にも悩まされた。

そんなわけで、ひとつきの8割くらいを棒に振ってしまったわけだが、ちょうど月の変わり目に差し掛かるころ、ある考えが頭に浮かび、大いに自分を救うことができた。それは、簡単に言えば、「『今』あることだけに目を向け、『今』やるべきことだけをやる」ということだ。

そもそも将来起こりうる事象を想定して期待したり失望したりする生き物は、世界広しといえども我々人間くらいだ。前頭葉という、脳の前部に位置し、「現在の行動によって生じる未来における結果の認知や、より良い行動の選択」(wikipediaより)に関する能力を司る部位が発達しているために人間の額は前方に飛び出した形となり、他の大多数の動物に比べて「この先」を考える能力に長けているからこそ、将来への不安を抱きやすいのだ、と聞いたことがある。飼っている犬なんかを観察していると、本当にその通りだと思える。彼らに見えているのは、喰らい、殖やして「今を生きる」ことだけである。その証拠に、その目は常に生への渇望に満ち、輝きを失っていない。明日の外敵の襲来や天候不順による飢えに絶望して生きることに無気力になったりはしない。

人間も結局のところ動物である。だから、思索の罠にハマったときこそ、一旦原点に戻る、つまり「今を生きる」という「動物的生き方に学ぶ」ことが必要なのではないか。そのために私がとった具体的行動は以下の通り。

・不安である気持ちをまず受け入れる

「今を生きる」のに「今」の気持ちを否定してしまっては始まらない。そもそも人間の状態なんて一定じゃないんだから未来には変わっているかもしれないしとりあえず「今は」そのままにしておく。

・今ある客観的事実だけを書き出す

一度不安を覚えるとあれこれとありもしない最悪な未来予想図が浮かんできてますます実体のない恐怖に完全に絡めとられるという悪循環に陥ってしまうが、これは感情によって事実の認識に歪みが生じてしまっている故であろう。そこで、今「実際に」起こっていること、存在していることだけを可視化してみるのである。この段階で絶対に守らねばならないのは、自分の感情、自分の考えに基づく予測といった要因の一切を排除することである。「これは~かもしれない」ではなく「これは~である」のみに目を向けるのだ。そうすると、現れてくる内容は意外にも少なく、いかに人間が感情に支配されがちかに気づき、自ずと「今」何をすべきかが見えてくるはずである。

・自分の選択を信じる

それが多数派であれ少数派であれ、今どの選択をしたところで未来に自分がどうなっているかなんて誰にもわからない。大まかな予測があるとはいえそれが絶対に正しい保証もない。この選択をすれば将来幸福になれて、あの選択をすれば不幸になるなどと断言することもできない。我々にできるのは、他人の言説に惑わされず、自分がゆく道で「今」やるべきことをただこなす、ということだけである。